価値観の精度を高め続けるという生き方

自分がどんな価値観で生きているのか。
これを日々確認することは、僕にとって当たり前の行為になっています。なぜなら、自分の人生に向き合うのは自分以外にいないと理解しているからです。

価値観は一度決めてそれで終わりではない。
状況が変われば、内面も変わる。だから僕は常に“今の自分”にとって何が正しいのかを確認する。行動は価値観に沿っているか、精神は静かか、生活は整っているか、対人関係は濁っていないか。これらを点検するのは、義務というよりも、自分の人生を扱う者として当然のことだと思っています。

心がざわつけば判断が狂う。逆に心が静かであれば、自然と価値観に沿った動きができる。だから僕は「精神の静寂」を重視している。静かであれば余計な選択をしない。必要なものだけを拾える。それだけの話です。

生活も同じで、乱れた生活は乱れた思考を生む。家事、仕事、開拓、ノルマ。こういった日々の積み重ねは、決して“ただの作業”ではない。僕の軸を支えている大事な要素です。外の環境を整えれば、内側も自動的に整う。それを知っているから続けているだけです。

そして対人関係。これは特に、僕にとって大きい。
必要以上に踏み込まない。濁りを残さない。広げすぎない。
深く向き合う相手は少数でいいし、その相手には誠実でいればいい。僕はそういう距離感が一番しっくりくる。過剰な責任を背負うこともあるけれど、それも自分の癖だと理解しています。大事なのは無理をしないこと。それを分かっていれば問題ありません。

結局のところ、僕らは自分の人生を自分の手で扱うしかない。他人に任せられないし、他人のせいにもできない。だからこそ、自分の価値観の精度を高め続ける必要があるだけです。

僕は「こうすれば人生が良くなる」とか「成功する」といった願望で行動しているわけではありません。
ただ、自分が自分を見失わないために、今の段階で必要だと判断した行動を実行しているだけ
それだけです。そこに期待や信仰はない。

価値観を確認し、静かに整え、軸をぶらさずに進む。
この姿勢こそが、現時点の僕が取るべき“真実の動き”だと理解しています。

これからも同じように淡々と、自分の価値観と向き合い続けます。
理由は簡単で、向き合わなければ僕が僕でいられなくなるからです。

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