看板を出したら電話が来た|世界がこちらを見た瞬間のドキドキ
看板を出してから、1か月が経った
土地に看板を掲示してから、特に何も起こらない日々が続いていた。
交通量はそれなりにある場所だが、反応はゼロ。
正直「まあ、そんなものだろう」と思っていた。
ところがある日、一本の留守電が入った。
名前を名乗り、「看板を見て連絡しました」とだけ残されたメッセージ。
それだけなのに、胸が少しざわついた。
嬉しさと不安が同時に来る不思議な感覚
率直に言えば、嬉しかった。
自分の行動が、確かに世界に届いた瞬間だったからだ。
同時に、不安も湧いた。
- 掲示物へのクレームかもしれない
- 焚き火や作業への指摘かもしれない
- 面倒な話だったらどうしよう
何も悪いことはしていない。
それでも、人は「反応」があると心が揺れる。
この感覚は、会社勤めをしていた頃にはなかったものだ。
「世界がこちらを見た」と実感した瞬間
電話一本で、風景が少し変わった。
今までただの土地だった場所が、
「誰かに見られ、認識された場所」になった。
看板は、ただの情報掲示ではない。
世界に向けて存在を差し出す行為なのだと気づいた。
そして、世界はちゃんと見ている。
時間差で、静かに反応してくる。
想像が膨らむ時間も、悪くない
すぐに折り返さず、ショートメッセージを送った。
相手が気づくかは分からない。
その「待ち時間」が、妙に落ち着かない。
けれど同時に、少し楽しい。
- 依頼だったらどうしよう
- 土地の相談かもしれない
- 何も起こらないかもしれない
答えが出る前のこの時間こそ、
世界と自分の間に張られた細い糸を感じる瞬間なのだと思う。
行動すると、必ず何かが動く
看板を出しただけで、人生が変わるわけではない。
だが、行動しなければ何も起こらなかったのは確かだ。
反応が来るかどうかは重要ではない。
「反応が来うる状態」を作ったこと自体に価値がある。
会社を辞めてから、こういう体験が増えた。
- 小さな行動
- 遅れて返ってくる反応
- それに揺れる自分の心
どれも、生きている実感がある。
世界は、こちらをちゃんと見ている
看板を出したら、電話が来た。
ただそれだけの話かもしれない。
けれど私にとっては、
「世界は無関心ではない」と知れた出来事だった。
焦らず、欲張らず、
この距離感のまま世界と関わっていきたい。
次の電話が来ても、来なくてもいい。
もう一度、静かに看板を眺めて、今日の作業に戻ろうと思う。
関連しそうな人へ
- 土地活用・看板設置に興味がある人
- 田舎暮らし・個人開拓をしている人
- 行動と不安の関係を考えたい人
きっと、このドキドキは他人事ではない。

