オリジナル門松を作ったら分かった“創造の快感”|手作りにしかない満足感の正体
今年、初めて「門松を一から自分で作る」という挑戦をしました。
竹を切り出し、形を整え、配置を考えながら組み上げていく作業。
梅や松の飾り付けはこれからですが、粗方の骨格を作っただけで満足感が強く残りました。
なぜこんなにも楽しかったのか。
作業を進める中で感じた“創造の快感”の正体を、改めて整理してみました。
1. 世の中に一つしかないものを自分の手で作る感覚
既製品の門松はいくらでもあります。
しかし、DIYの門松は
- 高さ
- 竹の太さ
- 角度
- 切り口の表情
- 仕上げる雰囲気
すべてが自分の判断で決まります。
手作りした瞬間、
「これは自分だけの門松だ」
という実感が生まれます。
この“唯一性”が持つエネルギーは大きく、
飾る前からすでに満ち足りた気分になれます。
2. 作業が「正解のない創造」だから面白い
門松の作り方には一定の型はあるものの、
細かいルールはありません。
- 竹の角度をどうするか
- 切り口をどの向きに見せるか
- 高さのバランスをどう取るか
- 芯材をどこに置くか
- 土台をどれくらい安定させるか
この選択に明確な「正解」はなく、
すべてが自分の美意識次第。
決めているのは自分だけで、
その場の感覚でつくることができる。
この自由度が、創造の楽しさを引き出してくれます。
3. 自分の“手”が考えを形にしていく瞬間が気持ちいい
竹を切る、皮を剥く、角度を合わせる、括りつける。
門松づくりは、手作業の積み重ねです。
手を動かすたびに形が変わり、
頭で考えたものが徐々に現実になっていく。
- イメージ
- 手の動き
- 完成形
これが一直線に繋がる瞬間が気持ちよく、
「創造している」実感が強く湧いてきます。
これは、作る人だけが味わえる感覚だと思います。
4. 人と比べない“純粋な楽しさ”だけが残る
門松は見栄えの世界でもあります。
しかし、自分で作ると
比較の対象がなくなり、
「これはこれで良い」
という納得が自然に生まれます。
誰とも競わず、
自分の満足のためだけに作るものは、
余計な雑念がなく、作業そのものが幸せに感じられます。
5. 「自由気ままに生きている」ことを実感できる
門松づくりは、誰に頼まれたわけでも、義務でもありません。
- やりたいからやる
- 思いついたから手を動かす
- 自分の感覚のまま形にする
この“自由である時間”こそ、創造の快感の源です。
私は普段から自己流の開拓作業を続けていますが、
門松づくりはその延長線で、
**「自由に生きている実感」**をはっきり感じられる体験でした。
まとめ:手作りの門松は、創造性と自由が詰まった最高の遊び
今回オリジナル門松を作ってみて実感したのは、
創造の快感は
- 世界に一つのものを作れること
- 正解のない自由な作業
- 手で形が生まれていく感覚
- 比較のない“自分のためだけの満足”
- 自由な生き方の象徴
こういった要素が重なって起きるということでした。
完成形はまだこれからですが、
すでに「作って良かった」と言えるほど充実した体験です。
こうした創作の瞬間は、生き方の軸にもつながると感じています。