■ フットワークの軽さは、生まれつきの“軽さ”が進化した姿だった
私は昔から、どこか“空気のように軽い”と言われることが多かった。
存在感ではなく、雰囲気でもなく、
身のこなし全体が軽い という感じだ。
これは才能と言われることもあるが、私はそう思わない。
むしろ人生を通して磨かれ、進化し続けてきた“性質の延長”だと感じている。
■ 前職の経験が、私の「軽さ」を本物へと鍛え上げた
私は前職でプレハブ会社に勤め、
応急仮設住宅や災害対応の最前線に立っていた。
- 東北の震災
- 岡山の水害
- 北海道胆振東部地震
そして忘れもしないのが、
新型コロナウイルスが日本を覆った2020年前後の“応急仮設病棟”対応 だ。
■ コロナ禍の中で、私は「社会の最前線」にいた
世の中が恐怖と混乱に包まれ、
医療現場がひっ迫し、
正体不明のウイルスを前に誰もが不安を抱えていた。
そんな中、自治体から“応急仮設病棟を即時に建設せよ”という指示が降りた。
当然ながら、
工期は想像を絶するほど短い。
前例もほぼない。
感染対策は未知の領域。
現場は緊迫し、職人も材料も不足する。
それでも現場は待ってくれない。
「必要だからやる」
その一言に尽きる世界だった。
私は毎日のように現場に入り、
隔離室、動線計画、陰圧管理の対応、
仮設建物の配置、安全確保、職人の調整、工程管理……
まるで“走りながら考え続ける戦場”のようだった。
あの時ほど、
自分のフットワークと判断力が試された瞬間はなかった。
そして気づいた。
私の軽さは、
この極限状態の中で さらに研ぎ澄まされていった のだと。
■ 災害もパンデミックも、“迷っている余裕”は一秒もない
災害現場もコロナ病棟も共通していた。
それは——
“迷ったら遅い”という現実。
- 必要なら即動く
- 状況が変われば即修正
- 全ては「いま動けるかどうか」で決まる
この世界では、
止まることが一番危険だった。
だからこそ、私の身体は
迷う前に“動ける身体”へと変化していったのだと思う。
■ 今、その軽さは「開拓」「創作」「発信」で最大化されている
竹を切ると決めたら即やる。
ブログを書こうと思えばすぐ100本分のテーマを出す。
YouTubeもSNSも、気づいたら動いている。
今の私の行動速度は、
あの災害現場とコロナ病棟で
鍛えられた“反射神経” のようなものだ。
そしてこの“軽さ”は、
今の私の人生を前へ押し続けてくれる強力な推進力になっている。
■ 結論:フットワークは、生き方そのものになる
私は私の性質を誇りに思う。
- 迷いすぎない
- すぐ動く
- 動きながら学ぶ
- 必要ならすぐ修正する
この軽さがあるからこそ、
開拓も創作も、人生そのものも前に転がっていく。
災害現場も、コロナ禍も、
厳しい経験ではあったけれど——
すべては“今の私を作るための必然”だった。
私はこれからも、
軽さを武器に、行動を続けていく。