移動が思い出になる日。バスと電車が教えてくれた娘たちの成長

会社員時代、私は年間3万キロを車で走っていた。
移動はただの作業で、景色を楽しむ余裕なんてなかった。

ところが今は違う。
バスや電車に乗る時間が、むしろ楽しくて仕方ない。
自分の足で移動し、自分の感覚で世界を味わうことができるからだ。

そして何より、
その時間を娘たちと共有できることが最高の贅沢 だと気づいた。


ベビーカーの時代から、徒歩で遊ぶ時代へ

バス停まで歩き、駅まで歩き、また歩いて目的地へ。
かつてはベビーカーが必須で、
すぐに抱っこをせがんでいた娘たちも、今では自分の足でしっかり進む。

体力が追いつかなくて途中で泣いたり、
抱っこして筋肉痛になったりした日々が懐かしい。

あの頃の自分と娘たちを思い返すと、
今日の「何でもない移動時間」に深い感動を覚える。


気づけば、長女はもう“意思を持つ人”になっていた

今日、一番驚いたのは長女の変化だ。

まだ7歳。
だけど、もう自分の考えをしっかり持ち、
やりたいこと・やりたくないことを自分で決め始めている。

「一緒に遊ぶ」のが当たり前だった時期から、
「一人で行動しても良いかもしれない」という段階に入った。

成長とは、こういう瞬間にふと訪れる。

親としては少し寂しくもあるが、
それ以上に「頼もしい」という感情の方が勝っている。


制限のない“歩く旅”が、家族の時間を豊かにしてくれる

今日の外出には、特別な計画は何もなかった。
時間制限も目的地も曖昧。

あるのは、
「自分たちの体力が続く限り遊ぶ」というシンプルなルールだけ。

こんな自由さの中で、
娘たちの成長は自然と浮かび上がる。

歩いて、話して、ときどき笑って。
ただの移動が、そのまま思い出になっていく。


今日、ひとつ理解したこと

私の娘たちは、
私が思うよりも少し早いスピードで成長している。

そして私は、
その変化を近くで見守れる幸せをかみしめながら歩いていた。

これからも、
こういう “何でもない日の積み重ね” が、
家族の未来を作っていくのだろう。

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