芥川賞受賞作品『過越しの祭』の感想

こんにちわ

専業主夫のSTEDです

 

芥川賞全集を手に入れて

14巻から読み始めております

 

私がこの世に誕生した時期で

どういった作品が受賞したのか

気になっておりました

 

今回読んだ作品は

『過越しの祭』米谷ふみこ著書

面白かったので感想や

注目シーンを振り返ってみます

 

過越しの祭とは

宗教のお祭りのことです

 

物語の登場人物から説明すると

主人公は50歳の主婦ミチ

20歳頃に絵描きと自由を夢見て渡米した

 

アル・・・ミチの夫

ジョン・・・長男

ケン・・・重度の障害を持つ次男

 

シルビア・・・アルの意地悪な親戚

 

物語上ではミチ視点で描かれており

アルは最低な亭主で自身を全く理解してくれず

シルビアや親戚に服従するダメな奴

 

ジョンは普通の青年

ケンについては今までの

お世話が大変過ぎるエピソードのみ

 

シルビヤはミチに

嫌がらせしかしない最低な人間

 

目次

昭和の主婦の在り方?

身を削りながら

子供の世話を務めてきたミチ

 

50歳になった時に

子供の世話を理由に

自身の行動を制限していたと言いたくない

 

けど

ミチの場合はケンがいた

 

私がミチの立場だったらと

考えたら施設に入れる一択だったと思う

 

この問題は非常に難しいし

当事者にならなければ判断しかねる部分もあると思う

第三者の私の考えとしては

『子の結末が見えた時点で愛着が湧く前に手放す』

 

私は23歳で結婚しても子供は作らなかった

漠然と自信がなかったから

 

その後30歳になり長女が産まれたが

 

もし障害があったら産まなかった

障害があったら手放す覚悟をしていた

 

子供を作る前にリスクも考えて対処法を決めていたけど

そんな覚悟を持って子供を作ってる人間はどれだけいるのだろう

簡単に子供を作れないと感じてしまう

  

その判断は当時23歳では出来なかったどころか

子供を考える余裕もなかった

 

30歳になって落ち着き

物事を考えるようになってからやっと決断出来ました

 

ミチも障害児が生まれる可能性を考慮して

妊活をしていたら違った覚悟が

あったのかもしれないと感じた

 

今では娘2人が3歳と5歳になり

愛着しかないのは障害がないことも大きいと思います

 

世の中には色んな意見があって

何が正解かわからない複雑な問題でありながら

家庭のスタイルによって答えも変わってくるので

第三者が口出し無用とは思います

 

これは小説で

それに対して見解を示しただけなので

難しい状況に陥っている方が

不快に感じてしまったら申し訳ないです

 

にしても

アルがミチに対して

配慮が無さ過ぎて可哀想だった

  

夫として妻をもう少し労わって欲しい

ミチは極限状態で生きているので

ケンの対処をしてあげたい

ケンも家族を苦しめたい訳ではないので

プロにお任せした方がいいと思う

その選択が無理なら道連れになる前に

手放す決断もありだと思う

  

ケンに今以上の愛着が湧く前に

且つやるなら迅速に

 

ミチという名前は道連れが由来か・・・

  

シルビヤという厄介な奴

アルの取り巻きであるシルビヤは

ミチにとっては吐き気を感じるほど嫌な奴

 

そんな奴いたら離れればいいのに

 

アルと離婚してもいいくらいと思うけど

 

そんな嫌なやつと近くにいる方が問題です

 

それを理解してないアルも悪い

 

人生一度きり

快適に暮らせばいいのに

 

自分の決断と行動次第で

何とでもなりそうな状況だけども

 

そこはアウシュビッツではないのだから

逃げ出すことは可能だよ

 

まとめ

嫌味なおばさんシルビヤと

重度の障害を持つケンに対する小説だった

 

ミチは20年近く我慢して戦ってきて

20代のときめきを封印してきましたが

50歳になって久しぶりに全てから解放されたとき

ときめきを思い出しました

 

そこからの新しい挑戦を応援させて頂きます

 

渡米したアメリカでも

日本と同じようなことが起きていて

結局は自分次第ということでしょう

 

後悔しない人生を各々送っていきましょう

 

それではさようなら

 

日本の固定概念に縛られた風土が

嫌いになって渡米しても

宗教に形を変えて同じことが起きていた

 

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