視界が狭まるとき、人は本気になる。放棄地で学ぶ集中の哲学

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皆さまお疲れさまです。
季節の移り変わりとともに、過ごしやすくなってきましたね。
それでも想定より涼しくなると、少し寂しさも感じます。

こうして、肌・光・匂いで時間の流れを感じ取れることに、あらためて感謝しています。

さて、放棄地ではつるはしを使った開拓作業が着々と進んでいます。
10分も作業を続けると、体に疲労がたまり、呼吸が荒くなり、汗がにじみ出てきます。
そうしているうちに、次第に周りが見えなくなり、作業に没頭していく自分に気づきます。

余裕があるときは視界が広く、世界が開けて見えるのに、
疲れてくると目の前の一点にしか集中できなくなります。
でも、それは無駄を省き、一つに集中するための自然な省エネモードなのかもしれません。

もしこの集中力を日常でも自在に使えるようになれば、
きっと一つひとつの作業が、今よりずっと速く、そして丁寧に進むでしょう。

日頃から瞑想を取り入れて集中力を鍛えていますが、まだまだ未熟です。
「目の前に全力集中し、一気に片付ける」——
その力を意識的に使いこなせるようになれば、
どれほど生活が豊かで楽になることでしょうか。

今の私は、疲れによってしか視野を狭められず、
その結果、無駄の多い作業になっている気がします。
もっと精度を高め、自分が納得できる自分に近づくために、
この広い放棄地と真剣に向き合い、見つめ合っていこうと思います。

開拓に集中すれば、車の音も、虫の羽音も気にならなくなります。
むしろ、つるはしの一振り一振りが研ぎ澄まされ、土をより深く耕せる気がします。

そうやって質を高めたい。
そうやって、身の回りのものを一つずつ精錬していきたい。

私の人生もまた、そうして作られていくのだと信じています。
そしてこれからも、一歩ずつ行動を積み重ねていきたいと思います。

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