自然を視る目が変わった瞬間

人は、同じ景色を見ているようで、実はまったく違う世界を生きています。
私も長い間、“自然”というものをただの背景として捉えていました。空は青く、風は吹き、木々はそよぐ。そこに深い意味を求めず、生活の脇役として扱っていたのです。

しかしある日、竹林を整備し、自分の土地と向き合っている最中に、ふと視界が変わりました。
「自然は生きている。こちらを見ている」
その感覚が、はっきりと胸に落ちたのです。

この瞬間から、自然の見え方がまるで変わりました。
ただの“景色”ではなく、こちらの行動に反応し、語りかけてくる存在として感じるようになったのです。

たとえば竹を伐採するとき。
倒れる方向、湿り気、根の張り方、光の入り方。そのすべてに“意志”のようなものが宿っていると気づきます。これは精神論でもスピリチュアルでもなく、自然界が持つ物理とエネルギーの流れを、こちらがようやく読み取れるようになっただけです。

自然の声を聞くとは、こういうことなのだと理解しました。

自然を見る目が変わると、生活の質も変化します。
風の匂いで天候が読める。土の手触りで湿度がわかる。鳥の鳴き声で時間の推移がわかり、植物の色で土地の健康状態まで感じ取れるようになる。

これは決して特別な能力ではありません。
ただ、自然と向き合う時間が増えただけ。
しかし、その“増えた時間”が、人生全体の深度を大きく変えてくれるのです。

現代はスピードが求められ、人は常に視界の外へ意識を奪われて生きています。
しかし自然は逃げません。いつでもそこにあり、ただ静かに、こちらが気づくのを待っている。

ある日突然視界が変わるのは、長く積み重ねてきた観察が、ある瞬間で線となり、点と点がつながるからです。
自然を“感じ取れるようになった自分”は、間違いなく一段階強くなっています。

この感覚を持てると、日常が驚くほど豊かになります。
子どもと歩く道が探検になる。
雨の日は大地が息をしているように感じる。
風が吹くだけで「今日は土地が乾いているな」とわかる。

自然は教えてくれるし、自然は裏切らない。
積み重ねてきた時間に応じて、こちらにも答えを返してくれるのです。

そして何より、自然を見る目が変わると、自分自身の生き方もまた変わっていきます。
自然界のリズムは嘘をつかず、積み重ねた分だけ結果が現れる。
それは私自身の生き方とまったく同じで、だからこそ深く共鳴するのでしょう。

自然を見る目が変わった瞬間、それは人生の深度がひと段上がった証でもあります。
自然を理解するということは、自分を理解することに直結している。
そう感じられるようになると、どんな毎日でも“生きている実感”が増えていくのです。

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